とある嵐ファンの独り言

ファン歴干支が1周回っちゃったヲタクの独り言

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝【第6章 専門学生】

 

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【プロローグ】 - とある嵐ファンの独り言

前回の話はこちら

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第5章 高校生】後編 - とある嵐ファンの独り言

 

夢のために、私は、専門学校へ入学します。

 

学科の特性のせいか、周りの女子、

ほとんどジャニヲタ…!

上のグループはSMAPから下はJrまで…

ジャニーズのことならどんと任せよ!って感じで…w

 

専門学校時代も、学科内にいた嵐ファンの中でも

1番うるさかったのは私でしょう…w

 

かなりの子から「うるさいw」って

言われてた&すぐにキャラ立ちしてしまうという…

 

でも、ほとんどの子からは

「潤くん好きな子初めて見たよ〜」ってめちゃくちゃ言われた。

 

なんか世代あるあるかもしれないけど、

私世代はほとんどが

櫻井二宮ファン率が高いんですよね…

そりゃ珍しくもあるわ…

実際、中高も潤くん担ほぼいないに等しかった…

(その分、自称校内1を密かに思ってたくらい)

 

学校生活になれた頃、Japonismツアーの発表。

なんと、ここでもAちゃん大活躍…。

しかも当てた日が、ツアーのオーラス!

(いやいや、運強すぎん??私の名義まだ活躍してない!)

毎回、Aちゃんの運が凄すぎて、

毎回恐縮でした…w

 

Japonismツアーの時に、Twitterのヲタクアカウントの方が

活性化してきて、その中でも、

今でも仲良くしてくれてる子もたくさんいます。

いつ話しても、「Japonism辺りに戻りたいな〜」っていう話も

たまーに出てくるくらい、結構思い出深いツアーの一つ。

こんな話になるのも、実は訳が。その話はのちほど。

 

就活の年になった2016年。

前年度がものすごく最高すぎたせいか、

たまーに戻りたくなる時期でもありました。

 

その年に出会ったのが、大野担のBちゃん。

Bちゃんはもともと、Aちゃんとは昔から仲がよく

Aちゃんからの紹介から仲良くなりました。

 

そんなBちゃんと仲良くなったあたりで、

自分の周りで、ある一つの論争が生まれました。

 

担当掛け持ち問題

 

昔よく話していた子なんですけども、

今では思い出しただけで怒りを覚えるほど。

 

簡単に言えば、ヲタクアカウントで、

別界隈のことを必要以上に呟くこと。

 

私はふと疑問を覚えることに。

 

その後、私の方からおさらばの方を致したのですが、

自分も正直なところ、

嵐はもちろん、他のジャニーズのグループは好きです。

ただ、それはお茶の間程度であり、

深くは介入していない。FCも1つしか入ってない。

金をかけて応援するのは嵐だけ。

他は、気に入ったものは購入する。

ライブは、お誘いがあれば、

「いつでも行けますよ〜ちゃんとその分の代金も払って、

皆さんと同等になれるようにアルバムも聞きますよ〜勉強もします〜」

っていう話。

 

これは、あくまでも私個人の意見です。

申し付けはご了承願います。

 

これを機に、自分の中での

ヲタクの線引きというものが生まれました。

 

2016年といえば、嵐ファンだけでもなく

他のところでも騒ぎになってものがありますよね。

 

SMAPの解散

 

前の文で、「ヲタクの線引き」について語ってるやつが

いう言葉ではないですよねw

 

1番最初の記事でも言っていましたが、

私はもともとはSMAPからジャニヲタの道を歩み始めました。

 

小さい頃には、キムタクがドラマ「空から降る一億の星」で

被っていた帽子が欲しくて、サンタさんに頼んでたり、

ドラマ「GOODLUCK!」に出てた頃にANAに乗る機会があり、

「キムタクいないかな〜」ってバカ正直に思ってたし、

初めて好きになった芸能人・グループだったので、

たくさんの思入れがあります。

 

そんなグループが解散。

解散報道が出て、数日後のスマスマにてのコメント、

母ちゃんにしがみつくほど泣きました。

そして、深夜に速報が出た8月中旬のある日。

声にならない声で泣いた。

自分の人生の始まりの原点だから。

辛かった。

スマスマの最終回は、大号泣して見守りました。

この時点で、SMAPのファンとして、そして

嵐ファンとしてちょうど半分の年になった頃でした。

 

まさか、この数年後には嵐も活動休止になるって

思わなかったよな…。

 

続きます。

 

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第5章 高校生】後編

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【プロローグ】 - とある嵐ファンの独り言

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第5章 高校生】中編 - とある嵐ファンの独り言

 

高校3年生は、本当に充実した日々でした。

1年生の時はやめたすぎて堪らなかったけど、

それでも最後の試合まで頑張った部活も引退。

 

その年の夏休み、一人旅という地元帰省しました。

初めての自分一人だけの旅行。

不安というよりかは、もうワクワクだけ。

 

その中には、引越して以来会っていなかった

幼稚園の年長の頃のね…

もうね、相方と言っていいくらいのお友達とも再会。

ずっとその子と遊んでたってくらい仲良かったお友達とも

久しぶりに話せて本当によかった。

 

この一人旅直後に、

24時間テレビの番組観覧に行ってたのです!

ちなみに、番組観覧行く時間前には

TDCホールで、ピカンチを見に行ったの。

すごくハードな楽しすぎる1日だったな…。

 

事の発端は、当時キスマイが好きだった

高校の同級生の一言から始まりました。

「ねぇ!城島リーダー応援しに行かない!?」

という、もう謎のノリで応募したら、

友達がなんと当てたのです!

 

2012・2013年、嵐がメインパーソナリティーだった時も

応募はしていたのですが、お分かりの通り

倍率の高さ…勝てなかった…

 

2014年は、関ジャニ∞がメインパーソナリティー

エイトもエイトでその時はデビュー10周年、

チャリティーラソンランナーのリーダーが所属する

TOKIO兄さんもデビュー20周年、

色々な意味で倍率が高いだろうなと思ってたところに

見事に当てた友達がすごい…

(本当に周りに恵まれてるな、お主…)

 

スタートを武道館でモニター越しで見守りました…

リーダー、道間違えたのめちゃくちゃ笑ったな…

 

この年は、THE DIGITAIANの5大ドームツアーにも行けました。

Popcorn以来のライブ。

2013年のワクワクに参加して以来、

約1年半ぶりの嵐全員!(潤くんだけ約1年ぶりw)

 

この年から導入されたフリフラ機能のペンラ型うちわ。

この時の席は、東京ドームの40ゲート。

大野担のAちゃんが当ててくれてたんですけど、

「席遠いね…」って連絡きたのも覚えてるんだけど、

 

いや、遠いっていうよも、私は入れるだけで

ものすごく幸せなんです。

それより、ペンラが遠隔操作される機能なので、

「景色最高じゃん!」って思ってました。

 

いざ参戦日。席は、右寄りの中心の景色。

普通に眺め良好。

というか、席着いて泣いてます。

毎度、会場入って泣きすぎです。ごめんよ…笑

 

Asteriskのイントロ流れた瞬間、ぶわぁって涙が溢れてきて。

久しぶりの嵐のライブ。

席は遠かれど、同じ空気吸ってるだけで幸せなのです。

ちなみに、デジの中でも好きな曲もAsterisk

これが1番最初に聴けるとは思わなかった…

 

Asterisk

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そして、高校卒業。

なんか色々あったな…

今でも仲良くしている高校の友達は数人だけど、

めちゃくちゃ最高なメンツばっかり。

仲間に恵まれてたんだなと、実感してます。

 

ということで、長く語りすぎた高校生編でした!

まさか、こんな長文にはなるとは思わなかった…。

結構濃い内容の3年間ではありましたね。

これでも、かなり短くした方なんですよ。

かなり端折った…。

 

次からは、ちゃんと1章ずつで終わるかな…?w

 

続きます。

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第5章 高校生】中編

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【プロローグ】 - とある嵐ファンの独り言

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第5章 高校生】前編 - とある嵐ファンの独り言

 

高校1年生の12月の初め、

ある一つの目標へ突っ走ることとなる事件が。

陽だまりの彼女2013年秋公開

私にとっては、大事件。

そう、潤くんの映画を 

ファンになって初めて見る映画だから。

花男の時は、映画館にも行けずじまいで

すごく悔しかった思い出。

ここはなんとしてでも、

日舞台挨拶とか行きたい

 

何しよう

そうだ、髪伸ばそう。()

 

この頃、かなりの短髪でした。

小さい頃からずっとショートヘアーの私。

人生で初めて髪を伸ばす決意をしたのです。

日舞台挨拶行きたいがために。

ここまで願掛けしないと

当たらないと思いはじめた。

 

高校2年生、部活も自分たちの代が引っ張る時期に。

まぁ、この時はひたすら部活を休む理由探してたな

と思って、学校行事の年間表を見たときに、

映画公開日周辺の行事を見たときに

とてもラッキーなことが

近くに中間テスト!

テスト時期になると、部活は一旦休止。

ちょうどその日に被ってました。

 

ここまできたらもう一直線!

後は一緒に行く人どうしようって思ってたところでした。

この時点では、一緒に行く人は部活の後輩と行こうと。

しかし!「今度のテストやばいのですみません!」ときて、

ヤベェどうしよう。私は焦った。

そして、救世主が現れた。

大野担のAちゃん!

女神がマジで降臨した。

すぐさま、初日舞台挨拶のチケットを申し込み、

結果は、公開日の週の月曜日。

 

10月の最初はほとんどの番組で潤くんいっぱい出てたし、

雑誌追いかけるのにめちゃくちゃ必死。

テスト前です。

 

学校行事にマラソン大会もあったけど、

潤くん見たいから早く帰りたいというもう不憫な理由

笑えるわ。ここまできたら。

 

そして、当落結果の日。マジでこの光景忘れねぇ。

結果が出る時間になっても、結果は出ず。

もうなんか暇だなと思って、風呂に入って。

ちょうどその日、しゃべくり007

潤くんがゲストに出てて、キャーキャー言いまくってた。

その間に、一通のメールが。

 

送り主はAちゃん。

「当たった!!!!!日劇!!!!!」

 

テレビの前で泣き叫んだ。潤くん見ながら。

マジで女神です。いや、もう神超えて

天照大神かよ。(ちょっと意味が分からない)

足向けて寝れない。

もうそこからは、またテレビに潤くんいっぱい出るから

必死に追いかけて

もう授業とか

どうなってもいいやってなってます。

テストまで数日前です

 

そして、公開日当日。

足がガクガク震えながら、

今は無きTOHOシネマズ日劇に。

 

この日は、集めに集めた

陽だまりの彼女関連のものを持っていったな

この回の舞台挨拶が映画上映前。

 

もうなんか胸いっぱいすぎて、

本人に会えるってなって、

でかい夢の一つが叶うってなって、

始まる前から大号泣かましてます。

まだ出演者登壇してません。

 

終いには、私の隣にいた親子に心配されました

そして、いざ始まり

もう涙止まることを知りません。

MCの人から「すでに泣いている方が」と

確実にその中の一人は私です!!!!!

もう嬉しいを通り越して奇跡ですから

 

映画本編でももう号泣ぶっかましてました。

この日、一日めちゃくちゃ泣いてましたな

 

まさかの中編、ほとんど陽だまりの彼女で終わるって…w

でも、高校2年生のほとんどの情熱は

勉強も部活もそうだけど、

こちらにかけてたってくらい、

自分の中のヲタク生活のほとんどは

陽だまりの彼女にかけてました。

まだその時、学校の図書館に原作本がなかったため、

わざわざリクエストしてまで入れてもらったり、

なんかずっと宣伝してたなって…。

 

それともう一つ。

この出来事は、自分のヲタク人生の中での

一つの分岐点でありました。

追いかけれるだけ、追い続けよう。

高校生だから、バイトもできない。

そんな中でも、追いかけれるところは

追いかけようと決めました。

 

続きます。

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第5章 高校生】前編

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【プロローグ】 - とある嵐ファンの独り言

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第4章 引っ越し先】後編 - とある嵐ファンの独り言

 

 

そして、月日は流れ、高校生になりました。

受験も無事に公立高校に合格し、

ここで!やっと!

嵐のファンクラブに入会!

ファンになって4年の月日が流れてました。

 

お母ちゃんとの約束で、

「公立高校に合格したら入ってもいい!」

という条件をもとに頑張ったな。うん。

 

部活も、もともと地元でやっていた運動部に入部。

転校先の中学校ではまさかの未設立だったため、

2年のブランク。追いつくのに必死でした

そんな中で、今となってはこの人無しでは語れない。

今後の私の嵐ファンとしての活動に

影響与える方に出会いました。

大野くん担のAちゃん。

 

最初の出会いは、部活説明会。

その頃、GANTZのファイルを持ち歩いていた私。

ニノ担と間違われました。

(ここから先も、初対面の方にかなりの率で担当を間違われてます)

(余談ですが、よく大野担に間違われます松本担なんだけどな…)

 

このお方のおかげで、ライブとしては初参戦となる

ARASHI LIVE TOUR Popcorn

参戦することが出来ました。

まじでっかい感謝。

(その後も本当にめちゃくちゃお世話になりました!!)

そのツアーを提げてのアルバムPopcornの中から

好きな一曲がこれ。

 

Waiting for you

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まず、イントロの爽やかなメロディーが好きなの。

聴いてても、すごく清々しい。 

 

でも、ここら辺かな。

あまり口には出して来ませんでした。

ほぼ初めてのことを言います。

 

高校1年の後半、学校にも部活にも

行きづらいなって時がありました。

ほとんど無理してでも行ってた。

この頃、ずっと体調も良くなく、

クラスの人達との波長が全然合わなくなって、

全ての時間において、孤独になって。

お昼も、ぼっちで食べてたくらい。

(逆に女の子がぼっちで食べてるのが珍しいくらい)

 

クラスでは浮いている対象の一人の扱い。

何か発言すれば、標的にされる。

みんなが隠し持っている拳銃を

私の方向へ向けてるなって。

今考えると、ちょっとした鬱になっていたかもって。

 

体調もずっと胃腸炎が続いて、

(もともと冬になるとウイルス性胃腸炎になりやすい体質)

終いには、一緒についてきてくれたお母ちゃんが

病院の先生に「流石にここまで痛みが続いているのは

ストレスのせいではないか?」と心配されて。

正直、この時はどちらかなのかはわからず。

 

わざわざ授業を早退してまで

隣町まで行ってカウンセラーに相談行ってたくらい。

でも、じいちゃん先生だったから、

私の中では、この人に話をしても

無駄だなって思って数回でやめたけど。

この頃、ちゃんと信頼できて

相談できる大人がいなかったんだと思う。

全て溜め込んでしまったのかも。

はけ口が見つからなかった。

この負の解消が

どこにすれば良いかも分からなくなってたくらい。

 

この頃から、一人でいる時間を大切にしてる。

何もかも流せるようにしないといけないなと思って。

 

前編はここで終了です!

ここの章は3回に分けてお届けします!

次の中編では、私の嵐ファン人生の中で

大きな変化が生まれます…。

続きます。

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第4章 引っ越し先】後編

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第4章 引っ越し先】前編 - とある嵐ファンの独り言

※このお話は後編なので、前編見ることをお勧めしますが

ちょっとショッキングな内容があるため

後編見たい方はこちらだけでも大丈夫です!

 

 

そんな、地獄の中学生の2年間、

一番楽しみだったのが土曜日!

引っ越して数週間後に

嵐にしやがれが放送開始!

毎週笑わされました。

毎日鉛のような通学バッグを

背負って通ってた学校から解放されるんだから!

 

そんな番組がもう少しで終わってしまうのが本当に残念です。

この頃、将来の夢というものを失くしていました。

実は、嵐にしやがれがきっかけで、

今の職業へとつながることができたので、

この番組に出会えて良かったなと思います。

 

そして、この2年間の中でもう一つ助けられたものがあります。

大野くん主演の「怪物くん」です。

 

本当に助けられた。最初の3ヶ月もそうだし、

なんなら映画公開するあたりで

国語の先生事件のやつ言われたから。

ずっと心身ボロボロの中、

怪物くん演じる大野くんのコミカルな表情や動き、

ドラキュラ・オオカミ男・フランケンが怪物くんに

振り回されるお供が面白かったり、

ウタコとヒロシがまんまと悪魔族の罠に引っかかり過ぎてて…

(いや、わかるよ…つられるよな…)

デモキンはなんかイケメンすぎるし、

モリーナ様はデモキンに熱注ぐし、

てか、悪魔族にも人間味があって深かったな…

なんか、この1時間とかは笑ったり泣いたりと

私の中の感情を全て引き出してくれてたなって。

 

そんな苦しかったこの2年間の中で、

ついに嵐さんに会える出来事が!

2011年〜2019年に開催された

嵐のワクワク學校に登校することが

出来たのです!

2019年のラスト授業の時に退任だったのに、

オンラインで復活した時はもう喜びが…!

 

この頃、まだファンクラブ入っていません。

プレイガイドの先着の電話受付で、行けたのです!

もはや奇跡に近い…席はど天井…笑

遠すぎた…

でも、同じ空間に一緒にいれてるってだけでも

すごく嬉しかったのです。

初めて生で(距離は豆粒)見れた時、思わず涙…。

引っ越してきてからの大きな目標が

夢叶った瞬間でした。

 

曲で言うなら、これはあえてこの曲選ぶな…

ニノの「どこにでもある唄。」

 

どこにでもある唄。

どこにでもある唄。

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ベイストで音源が解禁された時、

初めて聴いたのに溢れた涙。

この時、中3だった私が思ったこと。

「1年前の私に聴かせてあげたい」と。

2番の歌詞が響いたんだな…。

「ずっと泣くのを我慢してたら笑えなくなってた。」

 

何もかも耐えれなくなって、意地を張って。

泣きたいのに泣けない、笑いたいのに笑えない。

声にならないところで、毎日孤独の中にいた。

そんな中、中3の初夏ごろに

この曲に出会えたことによって、

少しは荷が軽くなったような気がした。

 

ということで、第4章はこれにて終わりです!

自分の中でも、かなり激動な2年間でした。

まぁ、この2年間だけは死んでも戻りたくない時期ではありますw

続きます。

 

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第4章 引っ越し先】前編

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【プロローグ】 - とある嵐ファンの独り言

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第3章 引っ越し】 - とある嵐ファンの独り言

 

ここの部分はちょっと表現が精神的にやられる表現があると思いますので、

スルーしたい方はスルーで。

 

嵐の宿題くんが最終回を迎えた数日後、

私は長年過ごした地元を離れた。

またいつか戻って来るという約束をして。

(まぁ、夏休み戻ったけど!)

 

田舎から首都圏へと引っ越してきた

私にとって少しのプラスと来たら、

ラジオが聴ける!!

(相葉くんのラジオは一応聴けてたけど、

電波入らずだったからこの時点では聴いたことないに等しい)

この時は、翔ちゃん以外のメンバーがやってたから、

聴ける喜びがあったね。

ちょっとの救いだった。

引っ越し当日、こっちへ来て

初めて聴いたメンバーのラジオは潤くんだった。

マジで感動した。。。。

 

そして、転入先への学校へ。

話は聞いていたけど、地元の中学校とは違い、

転入先の学校は小学校からそのまま繰り上がり式の学校。

正直比べちゃうと、まだ地元の方がクラスの人数も多いなと思った。

ここで、事件が。

 

転校早々いじめ勃発。

 

まぁ、外部の人間ですしね。その子たちからしたら。

そのまま繰り上がった子達からしたらね。

潰しですよね。

これが高校へ行くまで2年間続きました。

 

何かすれば、「○○さん()がやりました。」と

私のせいにさせられたり、

女子は女子で、私のいる前で

でっかい声で私の悪口言う子もいました。

中には、通りすがりの私の耳ものとで

「しね」と言われました。

 

この時の光景も覚えてるな

顧問の先生(学年主任の先生でもあった)

その日「部活休みます」って言った後に、

私の異変に気付いて、

言った張本人が謝罪したって言う光景も鮮明に覚えてる。

 

その中でも本当に良くしてくれた同級生も中にはいます。

成人式の日は本当に助かった

 

後、もっと酷かったのは一部の先生たちね。

これは教科名も言っちゃう。

 

社会の先生は、

いつまでも私の名前を覚えず2年間「転校生」と呼び続けたり、

 

体育の先生(男と女の先生の2)は、

運動会で踊るソーラン節を教えてくれなかったり

(いや、私ソーラン節人生で踊ったことねぇし!

なんなら、1年生と一緒でいいから一から教えてくれよ。)

この当時は嵐の完コピダンスやってたおかげで身振り手振り完璧にコピーしてましたw

 

一番酷かったのは国語の先生。

(当時は役職は主幹でした)

まず、生徒贔屓したり、

裏では校長をセクハラ扱いしたり。

(現場見てない癖に教育委員会に言ってたらしい。

俗に言う上司潰ししてたっぽいね。)

生徒に授業中になんか知らないけど、

教頭先生になるための本()みたいなのを

見せびらかしていたり、

授業中に、

普通に他の先生の悪口を生徒の前で言っちゃったりと。

 

後、これは忘れもしねぇな!

受験期の私、どうやら授業中に気を失ってた時に、

「あなたは受験に失敗する、地に落ちろ」ってね。

この先生自身も、高校受験失敗してるのにね。

(って、自分で授業中に過去言ってるしね)

 

この事件に関しては、

校長をはじめ、

この言葉を言われた時に相談しに行っていた相談員の先生

学年主任の先生(さっき言ってた部活の顧問の先生ね!)

休み時間の度に遊びに行ってた保健室の先生が

校長室へ駆けつけてくれました。

(上記の先生たちは校長含めて本当にいい先生でした。当時の担任は論外。)

 

私は、この時とにかく

「この先生、さっさと追い出してほしいし、

んなら私に言った言葉全て撤回しろ、

そして、土下座して謝れ。」と。

 

でも、校長は「それはやめた方がいい」って言ってて。

なに仕出かすかわからないって

校長も怯えていた。

でも、「また何か言われたら絶対言って。守るから。」

って言ってくれた。

 

その後、卒業するまで何もなかったが、

卒業証書を校長からもらう際、

小さい声で「良く頑張ったね」と

言ってくれたのを覚えています。

 

という事で、2日連続の2連続投稿😅

まぁ、仕事が中々終わらないもんで笑

年末ですしね…皆さん、頑張りましょ!

そして、本日はVS嵐最終回😭

第1章辺りに書いていましたが、

お昼時代は映らない地域にいたので、

再放送でしか楽しめなかったのが、

ゴールデン帯での放送で毎週見れることが

とても楽しみでした🥰

13年…そりゃ干支も回るし、

赤ちゃんが中学生になるわ。

大野くんも20代後半から40歳になるよ。

そんな月日が流れてたんだなと実感しました。

今日は楽しむぞっ!✨

 

後編へ続きます。

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第3章 引っ越し】

訪問ありがとうございます!

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嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【プロローグ】 - とある嵐ファンの独り言

前回の話はこちら

嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第2章 小学生時代〜中学1年生】 - とある嵐ファンの独り言

 

これも日付を覚えていることで。

20091219()

またこれもなぜ日付覚えてるかってね。

 

この日に、ちょうどスポーツ新聞に

嵐が年間オリコンチャート4冠達成の記事が

載っていたから。

今でも大切にとっています。

 

その光景を今でも鮮明に覚えてて。

お母ちゃんが

「お父さんの転勤が決まってここから離れなきゃ行けなくなった」って。

多分、お母ちゃんが

めちゃくちゃ泣いてるの人生で初めて見たかもしれない。

本来なら、時期的に私が高校卒業するくらいには

最低1回は転勤はあるかもっていう話はあったけど、

それがかなり早くなったっていう事だった。

 

私は、その場でずっと泣いてた。

テレビの音も聞こえないくら泣いていた。

だって、中学校でせっかくできた友達と

もう離れなきゃならなくなる。

しかもリミットはあと3ヶ月。

 

その頃、良く聴いていたのが

アルバムARASHICの「旅立ちの朝」

 

旅立ちの朝

旅立ちの朝

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 まだ引っ越す前だったのに、めちゃくちゃ響いて。

ラスサビ前の歌詞の

「胸張って 言えるかな ここが一番しあわせと」

歌詞の「ここ」がこの当時の私は、

ずっと育った地元のことを照らし合わせていたけど、

でも、歳を重ねるとやっとのこさ理解するよね。

「ここ」って、今現在の場所ってことよね。

(答えを出す道のりが長いよ)

 

もう答え出てるやん。

 

「『ここ』が一番しあわせと」

 

今がいちばん楽しいです。

こっち来て10年でやっと答え言えたな

もちろん、生まれ育った地元に帰るときも

めちゃくちゃ楽しいよ!

 

続きます。

 

ここで、私が生まれ育った地元編はこれにて終了です!

場所が移り引っ越し先の首都圏編です!

ここからの10年本当に波乱万丈でした。