嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第3章 引っ越し】
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最初の話はこちら
嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【プロローグ】 - とある嵐ファンの独り言
前回の話はこちら
嵐ファン12年目 一人のオタクの活動休止までの自叙伝 【第2章 小学生時代〜中学1年生】 - とある嵐ファンの独り言
これも日付を覚えていることで。
2009年12月19日(土)
またこれもなぜ日付覚えてるかってね。
この日に、ちょうどスポーツ新聞に
嵐が年間オリコンチャート4冠達成の記事が
載っていたから。
今でも大切にとっています。
その光景を今でも鮮明に覚えてて。
お母ちゃんが
「お父さんの転勤が決まってここから離れなきゃ行けなくなった」って。
多分、お母ちゃんが
めちゃくちゃ泣いてるの人生で初めて見たかもしれない。
本来なら、時期的に私が高校卒業するくらいには
最低1回は転勤はあるかもっていう話はあったけど、
それがかなり早くなったっていう事だった。
私は、その場でずっと泣いてた。
テレビの音も聞こえないくら泣いていた。
だって、中学校でせっかくできた友達と
もう離れなきゃならなくなる。
しかもリミットはあと3ヶ月。
その頃、良く聴いていたのが
アルバムARASHICの「旅立ちの朝」
まだ引っ越す前だったのに、めちゃくちゃ響いて。
ラスサビ前の歌詞の
「胸張って 言えるかな ここが一番しあわせと」
歌詞の「ここ」がこの当時の私は、
ずっと育った地元のことを照らし合わせていたけど、
でも、歳を重ねるとやっとのこさ理解するよね。
「ここ」って、今現在の場所ってことよね。
(答えを出す道のりが長いよ)
もう答え出てるやん。
「『ここ』が一番しあわせと」
今がいちばん楽しいです。
こっち来て10年でやっと答え言えたな…。
もちろん、生まれ育った地元に帰るときも
めちゃくちゃ楽しいよ!
続きます。
ここで、私が生まれ育った地元編はこれにて終了です!
場所が移り引っ越し先の首都圏編です!
ここからの10年本当に波乱万丈でした。